りになつてゐるでせうが、擬古文を作ると、自分の感情は出にくいけれども、言ひ易い。これは昔の人が言つておいてくれてゐるから、その伝へてゐる形によつて、ある点は言ひ易いのです。柳田先生が、三河の菅江真澄の書いた真澄遊覧記につけてお書きになつた序文の中で、どうも左手で背中をさぐつてゐるやうな気がする、と言つてゐられるが、表現が大変不確実だから頼りない処があります。
ところが、日本の文章と言ふものは擬古文の連続なのです。昔から一遍だつて、その時代の言葉で書いてあつたと言ふ事は、我々には考へられない。山田美妙斎、長谷川二葉亭が言文一致を考へ出した。外国語がかうだからと言ふ風に考へ出したが、非常な発明だつたのでせう。その前にもあつた事はあつた。天草の宣教師に、日本語を理解さす為に拵へた平家やいそっぷ[#「いそっぷ」に傍線]などの著述を見ましたが、まあ古い外国語と日本の言葉と触れた最初、と言ふ訣ではないけれども、兎に角、西洋の自由な表現法と日本のとらはれた表現法とが触れた時に生じた、当時の新しい方法なのでせう。それから前になると、国語と漢文と妥協したやうな形が、奈良朝の時分からあつて、それがだん/\
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