研究してゐると、天人の話を幾らでも並べ立てゝ来る。国内にも潤沢にあります。西洋にも白鳥処女伝説と言つて、天人の話は沢山あります。有り余つてをりますが、その他に、色々断片的な知識を添へる事を忘れない。そして琉球の銘苅子まで添へて来る。さう言ふ風な研究法は、本当でないと迄は言へないかも知れないが、さう言ふ態度も昔は一般に認められてをつたのです。けれども、今日ではそれはもう、認められないことでなければならない。つまり、一つの無駄もなしに、一つの論文は生きた有機的な有機体となつて、働かなければならない筈です。話を聞いてゐても、さう言ふ附添へ物は不自然な死んだものが挟まれてゐるやうな気が致します。ですが、我々の知識の程度ではどうしても偏ります。古代の知識の割合に豊なものは、古代に依つて解釈しようとします。近代に豊富な者は近代に依つて解釈しようとします。中世を知つてゐる者は中世に依つて解釈しようとするのであります。併し、それは円満にしたいものです。まあその研究態度に依つて、この研究がいゝか悪いかと言ふ事を判断して貰うて、材料の問題は、その人には殆ど個性となつてゐる、学問の習慣に依つて材料が手に這入
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