だと存じます。これがつまり、過去の文献学者と今日の同じ傾向に居る学者、国語・国文学者との、本当の違ひだと思ひます。
さう言ふ傾向の学者の研究と言ふものは、総べて随筆風に、知識の網羅になつてをります。譬へばらぢお[#「らぢお」に傍線]の話なんか時折聞いて居りますと、――余り適切に例を出す事は人の悪口を言ふ事になりますから、それは避けて、少し変へて申します。――八百屋お七なら八百屋お七の事を綴つた戯曲を論じて見ると言ふと、それに類似した事を、昔からずつと近代迄集めて来て、それに組織をつけて見ます。つけて見る事は見るのですが、自分の組織ですから、それに這入り切れないものがあります。その他に、八百屋お七の狂言に依つてかうであつた、かうでもあつたと、譬へば八百屋お七を瀬川菊之丞がやつた時に、かう言ふ模様の振袖で行つた、それ以後、その着た振袖模様が伝つてゐて、芝居の上でも、それで何時迄も用ゐられてゐる、と言ふやうな事を言ひますが、そんな事を言つて見たつて、それは何にもならない。唯、こんな零細な知識迄も、無視しては研究して居ない、と言ふ事を示してゐるに過ぎない。或は羽衣の、三保の浦の翁と天人との話を
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