ころから、起つてゐるのでせう。今は遊戯と言ふと、主に子供を考へますけれども、子供に限りません。この宗教的練習が、つまり、宴会の型になつたりするのでせう。お酒を飲んだり、歌を歌つたりすると言ふことは、やはり一つのお祭りの練習です。その練習と言ふ道をとつて、厳粛であるべきお祭りが、我々の日常生活の少し華《はなやか》な時、即ち、晴れの場合に持ち来される。子供の遊戯になるともつと著しいのです。なんでもかんでも皆、一つの宗教的な儀礼の練習をしてゐるのです。だから、その練習だつて、昔は時が定つてをつたに違ひない。時期と言ふものがあつたのですけれども、面白い遊びは面白いからいつでもやる。そこで、自然に社会的な制裁があつて、特別の場合の他は出来ないことになつた。如何に面白い遊びでも、いつでもやれば、かう言ふ事になるでせう。だから、遊戯と言ふものには、必ず、一種の神秘感を持つてゐたものでせう。我々でも、なんかさう言ふ感じを、この子供の遊びを回想してみると感じる訣です。譬へば、盆の前に昔の女の子供達が「小町踊り」と言ふ事をした。棚機《タナバタ》から盆へかけて、棚機と盆との極く短い間、女の子が列を組んで歩い
前へ 次へ
全90ページ中45ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング