あります。訓詁解釈と言ふものは、明治以前には非常に盛んであつた。それを受継いで、明治以後の国語、国文学者が一所懸命やり過ぎました結果、新しい国文学者から排斥せられてゐました。けれども、その為に又、新しい国文学者にはものが一向読めないのです。そして読めないで大ざつぱな解釈をするとか、或は材料の穿鑿をするとか、かう言ふ様な事ばかりに向いて来まして、或はさうでなければまう少し意味のある計画をして、文学史を研究すると言ふやうな事になる訣です。それで本文が読める読めないと言ふ事が、一番その死命を制するんだと言ふ事も忘れてをります。が、最近には又訓詁解釈と言ふ事が頭を擡げて参りました。その運動がはつきりして来たのは昨年からだ、かう言つて良いと思ひます。どうも学問の態度と言ふものははつきりするものではないですけれども、兎に角世間に名告りを挙げて来たのは、大体昨年頃からです。これは当然、さうなければならない事だと存じます。それで私の話も先づ訓詁解釈と言はれてゐる方面から這入つて行つたらよからうと、かう存じます。
本当の事を申しますと、補助学科と致しまして、民俗学の方から国語学或は国語の研究に持出しをす
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