と言ふ言葉とは同じである、とかう言はれてをりますが、更に日本語のつ[#「つ」に傍線]には、所有格を表す一つの使ひ方がありますから、そのあま[#「あま」に傍線]をば天と言ふ風に考へれば――日本語では天も海も雨(霖)もあま[#「あま」に傍線]です――つ[#「つ」に傍線]が直にぽせしぶ・けーす[#「ぽせしぶ・けーす」に傍線]になつて、霖忌は「天の罪」となります。だから、天つ罪と言ふ事を、こと/″\しく言うてをりますけれども、国つ罪は割合にやかましくなく、厳密に個条を数へてもゐないのです。古いものでは、国つ罪の事を、別に、やかましい意味だと怖れてはゐません。ですから、天つ罪と言ふ言葉をば考へ出して後に、国つ罪と言ふ言葉を拵へた、拵へずとも自然に出来て来る訣です。
かう言ふ風に考へて行きますと、つまり、神道の重要な天つ罪国つ罪、と言ふ言葉が、我々の生活内容としても不適当でない程に、かう言ふ親しさを持つて来ます。素戔嗚尊が天の上でなさつた悪戯だけをば、天つ罪と言つてゐるが、その天つ罪が何で地上の我々に関係があるかと言ふことは、昔の人は説明してゐない。つまり、我々から説明すると、素戔嗚尊が天上で悪い
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