いから」に傍線]と言ふ言葉は、使はなくなつたかも知れませんが、又私共もさう使つてはゐませんが、すまあと[#「すまあと」に傍線]とかもだあん[#「もだあん」に傍線]とか言ふ言葉は、我々の生活内容には余り這入つて来ない。それだけ貧弱な生活をしてゐるんだけれども、又それだけ安易な生活もしてゐる訣ですね。それで、はいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉は御存じの通り、只今でも生きてをられる竹越三叉さんや、先年亡くなられた望月小太郎さん、あの人々が洋行帰りで、高いからあ[#「からあ」に傍線]をつけて、きいろい声で演説をしたのを新聞記者が悪《にく》んだ。きざな奴だと、日本新聞ではいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉を言ひ出して――日本新聞で言ひ出したのでなく、宛て字を日本新聞でしだしたのかも知れません――兎に角新聞記者が、からあ[#「からあ」に傍線]の高い奴と言ふのではいから[#「はいから」に傍線]と言ふ名前をつけた。そして、鼻持ちのならないと言ふ意味の言葉として、日本新聞で「灰の殻」と宛て字をした。侮蔑しきつた宛て字ですね。今は一つも使ひませんが、その頃使はれてゐたはいから[#「はいから」
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