に籠つたことのある野、其草かげには、はや新草の生ふべく見えてゐる。去年の如く、又生ひ盛るべき草の野を、焼かうとする人がある。焼くことをやめてくれゝばよいに」と見るのである。少しくどい様だが、かうすれば、此歌の謡はれた理由が出て来る。
二
今の人から見れば、春もやゝ深く、早萌えようとする新草もあるのに、其新らしい草の焼かれる事を思うたもの、草の上にも愛しみの及んだ歌と見たからうが、さういふ洗煉と感傷とは、此時代の人の心にはないものと見るのが、正当である。
ふる草に新草まじる様が、どうして、昔人の鑑賞に入るか。考へられないのである。「生ふるかに」で見ると、まだほんとうに生ひて見えるのではない。だから益《ますます》、おもしろい――今の定義の――理由が訣らぬ。
[#ここから2字下げ]
佐保川の岸のつかさの柴な刈りそね。ありつゝも 春し来たらば、立ち隠るがね(万葉集巻四)
池の辺の小槻の下の篠《シヌ》な刈りそね。それをだに、君がかたみに、見つゝ偲ばむ(万葉集巻七)
[#ここで字下げ終わり]
此らの歌を見ると、草の高い野と言ふと、直に逢ひかたらふ若い男女の幻影を浮べもし、歌の上の類型
前へ
次へ
全30ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング