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わすれ草、我が紐につく。香具山のふりにし里を、忘れぬがため(万葉集巻三)
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大伴[#(ノ)]旅人の此歌と、おなじ風である。「忘れない様にと望んで……」と説くのが尤《もつとも》らしいが、忘れる為のわすれ草[#「わすれ草」に傍線]を、印象的に第一に出して居る。其故「忘れない為に忘れようと思つて……」と言ふ義に極められるのである。
此場合は間違ふ人もない筈だが、一応は反対論も作つて見ねばならない。ところが尚問題がある。「古草のなかまに入れて(まじり)新草まで焼くな。新草は生ふべくあるに」と言ふやうにも、とれることだ。むづかしい様だが、此は言へる事である。「古草に新草まじり、おもしろき野をば勿《ナ》焼きそ。生ひば生ふるかに……」と転置してみれば正しい解釈なのが知れよう。又、同じ考へ方で「古草に新草まじる様のおもしろい野をよ。其を焼くな。新草は生ふべく見ゆるに」ともとれる。併しさうすると「おもしろき」が、近代的の内容しか持たなくなる。
私はやはり、此「おもしろき」に力点をおいて見てゐる。ふる草、即、去年の草、其に懐しい印象がある。「此ふる草の伸びの盛り
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