万葉巻十四)
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東歌では此なども、おなじ種類らしく思へる。
さて、ふり返つて、此歌の謡はれ、又記録せられた理由を纏めよう。文学的な繊細さで、知られた物と見るか、性生活の期待を豊かに感じさせる為か、或は又、其意義から退化して、呪文として用ゐられて来たものか。かうして見ると、最初の問題は、大分はつきりして来た。
東歌の悉くが、採集者や、万葉集編纂者に、必しも訣つてゐたものでない事は、明らかである。だから、此方面、即鑑賞法を問題にする必要はない。東人等が、ともに興味を持ち得たであらうか。其等の追窮を試みたいのである。
今の処私は、やはり第二説である。「わが立ち隠るべき、おもしろの野を焼くな。野はふる草まじり新草生ひて、寝好《ネヨ》げに見ゆるを」と、かう説いて姑《しばら》く私の考への、更に熟するのを待ちたいのである。
四
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雨障《アマヅヽミ》常する君は、久方のきのふの雨に、懲りにけむかも(万葉巻四)
笠なしと 人にはいひて、雨乍見《アマヅヽミ》 とまりし君が 容儀《スガタ》し おもほゆ(万葉巻十一)
……とぶとりの 飛鳥壮《アスカヲト
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