る。さればこそ、若い享楽の壊される事の不満を述べたのである。それ程無風流な生活行事であつた。
枕詞・序歌に使ひ、又其行事を非難する物はあるが、此中から美を見出す風流はまだなかつたのである。草刈る事を非難する表現に馴れた人々である。野を焼くを悪《にく》む発想に到らないはずはない。「今日はな焼きそ」の一種叙事詩化した以前、既に幾多の怨み歌が出てゐたに違ひない。この歌は、強ひて言へば、寒気に閉ぢられた冬は去つて、春の喜びに充ちてゐる。村を囲む山へかけての、曠野の往き来も自由になつた。娯しい野山の行き会ひを思ふ時、もう野山に火がつけられてゐる。暫くは又、草木の伸びるのを待たなければならない。どうにもならぬ落胆である。
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武蔵野は 今日は 勿《ナ》焼きそ。わか草の嫩芽《ツマ》もこもれり、冬草まじり
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こんな形にして見ると、発想展開の順序に見当がつく。「……と、予期《アラマ》したる野をば勿焼きそ。ふる草に新草まじり、生ふべくなれるを」――こんなにして見ると、大分はつきりして来る。若草・紫草・菅其他に、恋愛の聯想のつき纏うてゐるのも、此側に一つの大きな原
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