コ》が、霖禁《ナガメイミ》 縫ひし黒沓 さしはきて、庭にたゝずみ……(万葉巻十六、竹取翁の歌)
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       田あそび
此等の創作歌及び民謡は「田遊び」の行事に触れてゐる。田遊び全体、春まつりの一部であつたものが、をり/\にくり返されるのであつた。後代は、五月田植ゑの際に行ふのを本位とする様だ。併し、初春に一年中の田の行事や作がらを祝福する為、劇的な動作や歌舞を行ふのが、春田打ちであつた。だが、此は、演者は神の資格でするのだから、第二義以下の祭りではない。――祭りの語義と、用語例推移については、別のをりに書く――神が呪詞を宣する第一義の祭りの一部分であつても、全体ではない。だから、田遊び(歌舞《アソビ》)ではあつても、田祭りとは言へないのだ。此田遊びが、呪師《ノロンジ》出の法体芸人の手に移つて演芸化したものが、田楽《デンガク》であつた。農村々々によつて、村人自身行ふ処と、田楽師を迎へる処とが出来て来た。春の田遊びが、五月の田植ゑの時に移し行はれて盛んになるのは、如何にも、実感に適するからである。
田植ゑに、田遊びを行ふのは、春田打ちに臨んだ神で、やはり初春と一つの積りで来て行つたのが、古い形だ。だから、田遊びを行ふ人は、異形を装ひ、他界の霊物のしるし[#「しるし」に傍線]なる簑を着て、顔は笠其外の物で隠してゐる。此に対して、五月処女《サヲトメ》(そおとめ[#「そおとめ」に傍線]と発音する)は、巫女の資格を持つ。神人とおなじく、頭髪を深く、布・帯の類で包み、其上に赭土・白粉――後は多く此方になる――を塗つて、身をやつした。
赭土を「さに」といふ。その「さ」は五月の行事に関係の多い「さ」であらう。さ月・五月夜・五月蠅・さ苗・さをとめ[#「さをとめ」に傍線]の類の「さ」である。水口祭りと言ふのが、田植ゑ行事の一つにあるのは、遠処の水の神に水を乞ひ初め、山の花を挿して、稲の花の象徴とする行事で、此花の様に稲の咲き実る様にと、日中に、神の贄飯をまつるのである。
水口と言ふのは、後に考へた水かけの口[#「口」に傍点]では、元なかつた。水の灌けはじめで、口あけ[#「口あけ」に傍線]の義だ。山口祭りの口[#「口」に傍点]も、山の上り口の神をまつるものと見てゐるが、山の木の伐り出し初めにする行事、即其々の山の斧入れに当つて、物をまつられる神なのであつた。
田植ゑの後、夜、さなぶり[#「さなぶり」に傍線]を行ふのが普通である。早苗饗応だと言ふ説の当否はとにかく、田植ゑに臨んだ神々を、賓客として開いた饗宴の遺風なのは、事実である。植ゑ初めから、植ゑ了ふまでの間は、群神は村に居て、夜行する故、此間は居籠りを守つてゐる。夜の、外出はきびしく忌んだのである。神逗留の間はまつり[#「まつり」に傍線]と言ふには当らない。神が能動的にふるまひ、人は水口祭り以外には、神に向つてする事がないからである。
さなぶり[#「さなぶり」に傍線]の饗宴は、果して古くからあつたものであらうか。神の行ふべき行事は、悉く田遊びで尽きてゐるのだから、此さなぶり[#「さなぶり」に傍線]は、田植ゑに必須条件ではなかつたらしい。唯この夜、家々の男は悉く外に出て、処女或は巫女の資格ある女が、協同作業《ユヒ》の斎屋《イミヤ》――或は個々の家――に待ち申して、此|客人《マレビト》をもてなす事が行はれたらしい。此が、陰陽道の五月の端午の節供に習合せられたのであつた。世間で男の節供と言ひながら、此夜に限つて、家々を女の家と言ひ習して来た――女殺油地獄の中――のは、男の物忌みで家に居ぬ日だつたからである。殊に少青年の行動は戒めねばならぬ様であつた。
端午の節の斎戒は、男が守らねばならなかつた為、男の節供として、人形《ヒトガタ》を据ゑて穢邪を移し、又ゆきあひまつり[#「ゆきあひまつり」に傍線](交叉期の祭り)の考へから出た邪鬼――夜行神の恐れが転じて――の来襲を防ぐ備へをする日になつた。併し、五月幟の類は、一つは田植ゑに来訪する神を迎へる招《ヲ》ぎ代《シロ》なる青山(標の山の類)の変化でもあり、又神人たるべき若者の、神意によつて、指された住む家の目あてになるものらしい。つまりは、斎居《イモヰ》の宿のしるし[#「しるし」に傍線]から拡つたのである。
我が国では、ある時代から、多く四五月の間を、成年戒・成女戒を村の青年処女に授ける時期とする様になつたらしい。成年戒を授かつた後の男子は、忌み日として外に集つて居籠るのではなく、神人の一人として、群行神の一人に扮して、女の家に訪れて行く資格を得るのである。
       男になつたしるし[#「しるし」に傍線]
古代には、成年戒を授かるのは、初春よりも、此五月の夜に多かつたらしい。中部・西部諸国に亘つてある或神の氏子の男のしるしの曲つて
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