因があるのだ。
三
草木を伐り、野を焼くを嫌ふ原因は、まだ外にもある様だ。
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山城の久世の社に 草な手折《タヲ》りそ。しが時と、立ち栄ゆとも、草なたをりそ(万葉巻七)
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此は禁忌である。かうした神の標《シメ》野を犯す事を忌むことの影響もある。其に今一つ考へられるのは、木を伐り出す時の「山口祭り」の様に、野を占めて焼く時の呪詞があつたらうといふ事だ。御県《ミアガタ》の神の祭りに似て、尚すこし畏怖の情の深い、野の神の祭りが行はれたのであらう。のづち[#「のづち」に傍線]は野雷《ノヅチ》で、野の蛇神である。かやのひめ[#「かやのひめ」に傍線]は葺草場の神であらう。其外色々ゐる神に対つてする呪詞が、必、あつて忘却せられたのであらう。
かうした野の神々を鎮圧するのが、村に対する山の神の務めである。さうした呪詞の断篇化し、又は、拗曲したのが、更に時代生活に合理化せられて行つた。草木を伐り、野を焼くのを忌むといふに適した恋愛境遇に一致させて来たのらしい。さなくても、田畠・移動耕地の精霊は草を刈りつめられ、火に焚かれて、神となる風であつたから、此行事に関するあらゆる記憶も、変化して、こんな類型を作る一因となつた事であらう。
右の順序を逆に言へば、古代邑落の男女媾会の一方法が知れる。野山を刈り焚いて新神を作つた風。其と対等の原因として、精霊の所有なる未開拓地を墾《ひら》く方式。此が双方から歩みよつて、叙事詩では、大国主及びやまとたける[#「やまとたける」に傍線]の焼け野の難の話になつた。其呪詞の一部が「さねさし相摸《サガム》の小野《ヲヌ》に燃ゆる火の、炎中《ホナカ》に立ちて、とひし君はも」(記)となり、或は「萱な刈りそね」「野をば勿《ナ》焼きそ」などゝ、夜の訪れ以外に、昼も野山で会ふといふ結婚法と相互に影響し合うて、実生活の上の顕著な様式を形づくつた。
更に三転して、草野にこもる男女と、焼き囲む野火との聯想が、小説的になつて、民謡に栄え、更に文学にまでも入る事になつたのである。万葉では既にさうである。だから実生活とばかりも言へないのである。誇張と空想と芸術化とが加つてゐるのだ。必しも、歌が生活の反映であつたとは言へない。
すべて伝承の詞曲の上の事を、悉く実在した事と見る事は出来ない。多くは、詞曲にのみある事であつたり、其が反対に、実生活に移されたり、実生活様式と合一したりした物なる事を考へねばならぬ。殊に、其生活から、庶民の生活を抜き出す事の出来ぬ、高級神人・巫女の上に限つた伝承である事は、勿論である。伝承に出る至上階級の行動も、神・人の区別がない。だから、人の世の事と思へば、神話であつたりする。草刈り・野焼きの歌なども、すべて経験から出てゐるとは言へない。歌論の上の慣例を追うたに止る事の多い事を思ふべきだ。
此歌の捉へ処のない様に見えるのは、或は既に、神の真言化して考へられ、呪文とせられてゐたのかも知れぬ。
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天なる ひめ菅原の茅な刈りそね。みなのわた かぐろき髪に 芥し着くも(万葉巻七)
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譬へば、此歌なども、叙事詩から断篇化した歌らしい。軽[#(ノ)]大郎女を憐んだ歌だらうと言ふ人もある程だ。処が、此旋頭歌は、呪文に使はれたものと見る方がよさゝうだ。すると「おもしろき」も野焼きの火に過ちなき様になど言ふ原義を没した用途を持つてゐたのかも知れぬ。
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妹なろが つかふ川門《カハト》のさゝら荻《ヲギ》 あしとひと言《コト》 語りよらしも(万葉巻十四)
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東歌では此なども、おなじ種類らしく思へる。
さて、ふり返つて、此歌の謡はれ、又記録せられた理由を纏めよう。文学的な繊細さで、知られた物と見るか、性生活の期待を豊かに感じさせる為か、或は又、其意義から退化して、呪文として用ゐられて来たものか。かうして見ると、最初の問題は、大分はつきりして来た。
東歌の悉くが、採集者や、万葉集編纂者に、必しも訣つてゐたものでない事は、明らかである。だから、此方面、即鑑賞法を問題にする必要はない。東人等が、ともに興味を持ち得たであらうか。其等の追窮を試みたいのである。
今の処私は、やはり第二説である。「わが立ち隠るべき、おもしろの野を焼くな。野はふる草まじり新草生ひて、寝好《ネヨ》げに見ゆるを」と、かう説いて姑《しばら》く私の考への、更に熟するのを待ちたいのである。
四
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雨障《アマヅヽミ》常する君は、久方のきのふの雨に、懲りにけむかも(万葉巻四)
笠なしと 人にはいひて、雨乍見《アマヅヽミ》 とまりし君が 容儀《スガタ》し おもほゆ(万葉巻十一)
……とぶとりの 飛鳥壮《アスカヲト
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