古代民謡の研究
その外輪に沿うて
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)勿《ナ》焼《ヤ》きそ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)此|客人《マレビト》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)尾※[#「骨+低のつくり」、第3水準1−94−21]骨

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)天[#(ノ)]窟戸

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)まる/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一

[#ここから2字下げ]
おもしろき野をば 勿《ナ》焼《ヤ》きそ。旧草《フルクサ》に 新草《ニヒクサ》まじり 生《オ》ひば生ふるかに(万葉集巻十四)
[#ここで字下げ終わり]
此歌は、訣つた事にして来てゐるが、よく考へれば、訣らない。第一、どの点に、民謡としての興味を繋ぐことが出来たのか。其が見当もつかない。「ふる草に新草まじり」といふ句は、喜ばれさうだが、昔の人にもさうであつたらうか。上田秋成などは「高円の野べ見に来れば、ふる草に新草まじり、鶯の鳴く」と借用してゐる。だが、かうした興味からだけで、もと謡はれたものとは言ひにくい。或はそこに暗喩を感じる事が出来たのかとも思ふが、此歌全体の大体の意義さへよく説かれてゐないのは、事実である。
       生ひば生ふるかに
まづ「おもしろき此野をば、な焼きそ。去年のふる草に、新草のまじりて、生《オ》ひなば生ふるに任せよ」と言ふ風に、大体考へられる様だ。だが、考へると、「生ひば生ふるかに」と言ふ文法は、普通の奈良朝の用語例ならば、後世の表現法によると、「生ふるかに[#「かに」に傍線]」だけで済む処だ。「袖も照るかに[#「かに」に傍線]」「人も見るかに[#「かに」に傍線]」「けぬかに[#「かに」に傍線]、もとな思ほゆるかも」などで訣るのである。
ところが、古い用法になると、「けなばけぬかに[#「かに」に傍線]恋ふとふ我妹《ワギモ》」と言はねば、完全に感じなかつたらしい。「けぬべく思ほゆ」と言ふのと、略《ほぼ》似た用語例にあるもので、万葉でも新らしいのは、べく[#「べく」に傍線]或は音を変へてかね[#「かね」に傍線]と言うてゐる様だ。「か」は句を体言化する接尾語で、「に」は副詞の限定辞である。そして「かね」を使ふ場合は、それ以下の文句を省いてゐるか、前の方へ跳ね戻る――句の倒置――かゞ常である。だから此なども、説明句を省いたか、上へ返るか、どちらかである。「生ひば生ふるかに[#「かに」に傍線]な焼きそ」となるのか、それとも「生ひば生ふるかに[#「かに」に傍線]……せよ」と言ふ文法かである。とにかく「かに」があると、文章全体が命令になつて来るのが新しくて、古いものでは、もつと自由な様である。
又「生ひば生ふべく……」とか「生えれば生える程に……」と訳してよい様だが、「生ひば」と言ふ条件式な言ひ方は、此文の発想から言ふと、意味がないのである。現代風に訳すれば、ないのと一つに見るのが、ほんとうなのだ。「けぬかに」「けなばけぬかに」が、等しく「消ぬべく」の義と同様であるのは、訣がある。
古い日本の文法には、自動詞にも目的格があつた。即、有対自動詞の形をとるのである。さうせぬと、完全に文章感覚が出て来なかつたらしい。「言へばえに[#「えに」に傍線]」と言ふ句――言ふとすれば、常に言ひえないで[#「えないで」に傍線]――は、「えんに」と言ふ平安朝以後の流行語の元である。艶《エン》にといふ聯想は、後から出た事で、「言へば言ひえに[#「えに」に白丸傍点]」或は「言へばえ[#「え」に白丸傍点]言は[#「言は」に傍点]に[#「に」に白丸傍点]」の略せられた形であつた。言ふに言はれないでの義である。これがえに[#「えに」に傍線]・えんに[#「えんに」に傍線]となるのを見れば、けなば[#「けなば」に傍線]――けぬれば[#「けぬれば」に傍線]と同じい――を省いて、けぬかに[#「けぬかに」に傍線]とする道筋も明らかである。
生ひば生ふるかにの「生ひば」は、自動詞「生ふ」の目的で、現代の言語情調には、這入りきらぬ文法感である。即「生ふるかに」の意味に説いてさしつかへはないのである。「ふる草に新草まじり生ふるかに……」と言ふ義の、長い副詞句である。この「……」の部分は「生ふべく見ゆ」「生ふべくあり」などゝも考へられる。又「生ふるかに勿《ナ》焼きそ」であるらしくもある。まづ仮りに、後の方ときめて、他の部分を考へて置かう。
       おもしろき野をば
「おもしろき」は訣つたやうで、やはり知り難い語である。此はおもしる君[#「お
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