を讃めるといふことは、その土地の神を讃めるのと同じ効果と結果とを持つ。とにかく、正面から現実を讃めてゐるといふのは少ない。「豊葦原[#(ノ)]瑞穂[#(ノ)]国」といふのも、決して、米の豊かに稔る楽土であることを讃め称へたのではない。「この国はお米がよく出来るんだぞ」と、土地の精霊[#「精霊」に傍点]に言つて聞かせた言葉であつた。さう言つて置けば、此言葉通りの国になる事が出来る、といふ信仰だ。常陸風土記には、それが一番はつきりと見えて居る。風俗《クニブリノ》諺、風俗[#(ノ)]説、或は単に風俗とも書いて、幾らも出て来るものが、このことわざ[#「ことわざ」に傍点]である。かうした国の讃詞、神の讃詞には、必ず決《キマ》つた詞句があつた。神を讃めるには、其御名の上に、その決つた詞句をつけるといふ風にする。
是が使用し慣れてくると、上に冠せる讃詞だけを出して、本道の神の名は出さずとも訣る様になる。更にさうしてゐるうちには、時が経つに従つて、讃詞とその内容とが訣らなくなつて了ふ。讃詞だけが古くなり、何時までも固定したまゝで、記憶し直すといふことがないが、下につける神の名、国の名は何時でも記憶し直し、常に新しい印象を持たうとしてゆくからである。譬へば「筑波の岳《ヤマ》に黒雲|挂《カヽ》り衣袖漬《コロモデヒタチ》の国」といふ風俗の諺(常陸風土記)、其ひたちの国[#「ひたちの国」に傍点]だけは始中終新しくなつてゆくけれども、「筑波の岳に黒雲挂り衣袖漬」は固定してゐる詞句である。ところが、此諺を見ると、我々にも何だか訣る様な気もする。さういふ気がしなくとも、言葉を知る能力が発達して来て、知らうとする慾望だけは持つて居るから、之が理会力と一つになつて、いろ/\に説明して、何とか訣らして了ふ。既に、風土記では日本武尊、東夷の国を巡狩なされて、新治の県においでになつた時、国造比那良珠[#(ノ)]命、新に井を掘らしめたところが、泉浄澄にして愛はしかつた。尊、御輿を停めて、水を翫び、手を洗ひ給うた故に、御衣の袖が泉に垂れて沾れた、即ち、袖を漬《ヒタ》す義に依つて、此国の名としたと言ふのである。ところが、中には説明しようにも、説明のつかぬといふのが幾らもあつた。讃められる語は訣つてゐても、讃める方の詞章が訣らぬので、結局、此方を妥協して訣る様に/\してゆく。つまり、讃められる語の意味を、讃める詞章の持つてゐさうな意味に、附会してゆくことになる訣である。万葉集に出る「いさなとり」といふ語なども、始めは、ある点まで訣らなかつた語であつたのを、始中終使はれてゐるうちには、適当な語が、それについてくる。鯨を取ることだらうと解して、海をくつゝける、といふ風にくつゝけてゆくのだ。かうなつてくれば、もう、讃めるといふ意味は忘れて了ひ、何だか知らぬが、昔からさう言つてゐるから守つてゆかう、といふだけのことになる。併し、どうせ使はねばならぬものなら、成るべく訣らせてゆかう、讃詞を讃められる詞に合せる様にしてゆかうといふことになつて、枕詞といふものが出来てゆくのである。
枕詞の一番古い起源が之である。何だか知らぬが、くつゝけておかねばならぬ詞章がある。それに、之ならば訣るだらうと思ふ様な語を、その下につけてゆくのだ。さうなると、従つて枕詞の利用範囲が拡がつてくるので、一つ/\を見てゆくと、皆、その枕詞の起源の様に見える。起源と言はれるものは、或は幾つもあるかも知れぬが、とにかく、其最初は、今言つた様な、諺から出て来た形だ。だから地名の枕詞は、割合に純粋であり、同時に古くもあると言へよう。ところが、その様に諺であつた枕詞が、殆ど無意味な形式的なものとなり、もと讃詞であつたことも忘れて了ふ。理由は知らないが、重要性を持つてゐる霊的な不思議な詞章だ、と考へて来る。さうして、どうせ我々の祖先から伝へて来た財産ならば、其を生かして使はなければならぬ、といふ気持から、既に死んで了つた詞句を生かして来ようとする。つまり、意味がないと思つてゐた言葉に、だん/\意味をひつぱり出して来る訣だ。譬へば、祝詞の解釈に当つて、その讃詞が訣らないので、狭い範囲の比較研究をして、宣命ではかう、古事記ではかう、といふ風に見て来る。かういふ態度は、学問的だとは言へるが、併し其原初の意味をつきとめるといふ事は容易な業ではない。
四
一体、言語の学問は、比較言語学の土台に立たねばならぬ事は勿論であるけれども、日本言語学――謂はゞ、さう言ふべきもの――をも確立しなければならぬ。日本の文法は、日本言語学と言つていゝものであらうが、今の文法は純粋に学問ではなく、通弁の学問が少し進歩して来た程度のもので、之を日本言語学と言ふには、少しく淋しい気がする。もつと言語学風になつてもいゝと思ふ。今尚、文章を書く
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