偏頗といふか、単純といふか、とにかく語の数が非常に少ない。一寸変つた語が出ると、此方がびつくりする程に使はれる。祝詞などを見ても訣る様に、同じ語ばかりが出て来る。万葉でも、白い浪ではなくても白浪と言ふのは、文学語として此語を取り上げてゐた訣で、馬といふ為に赤駒といふ表現をして居り、これは次第に趣味が変つて、青馬などとも言つて来る様になつてゐる。髪の毛ならば、必ず、黒髪といふ。之等は昔の人の好み、単にさうした語が好きだつたといふだけで、意味はないのである。枕詞も最初の話の様に、あんな必要が出て、色んな意味がくつついては来たが、結局は歌の一部分になつて了つて居る。文学語――知識としての要素の強い――として枕詞を取り込んで来たのだ。
此文学語として枕詞の、発達の最初にゆきついたのは何か。其は地名である。地名を文学化し、文学風に考へるといふ歓び方が出て来る。つまり枕詞は、最初は土地か、神か、人間かの讃詞であつたのが、次第に意義が変化して来た。さうなつても、何時までも土地・神などに纏綿する考へは失はず、どうかすると、其が復活する。だから枕詞と土地の神とは引き離すことが出来ない。さうして最後には歌の上に、其土地の美しい地名を詠み込んで来る。悠紀・主基に卜定せられた国の郡の中で、特別に音のいゝ、美しい聯想を起しさうな地名を、後には書き遺して居る。之を仮に注進風土記などと名づけて居るが、之等を見ると、悠紀・主基の、美しい豊かな聯想を抱かせるくらしっく[#「くらしっく」に傍線]な地名が並んで居る。其を歌に詠み込んだのだ。歌に詠み込む為に、さうした風土記を献らしめた訣で、謂はゞ、悠紀・主基の歌を作る種である。かうなると、我々の実生活とは関係が無くなるが、そこまでゆかぬうちに、既に、我々と関係深い言葉の中に、文学語を多く入れてゐる。文学語を好む気持で、文献に遺し、さうした語の中から取り上げて文章を綴つて行つたのである。かやうにして言語を選ぶ能力が進んで行き、結局、注進風土記を作り上げたといふ事になる。とにかく言語の中に霊的な、神聖な、香の高い、昔風の懐しい、心の緊きしまる様な、色好みの豊かな感覚を起させる言葉を織り込んでゆく事が多かつた。之が当代の歌言葉の非常に少なかつた理由である。

       七

語原論の中には、どうかすると忘れられてゐる部分がたつた一つある。其は略語である。古
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