主は、昔の斎主《イハヒヌシ》に当るものである。神其ものが神主で、神職は斎主の地位に下つたのである。神祭りの時には、主上は神主であると同時に、まれびと[#「まれびと」に傍線]であつて、非常に神秘なことである。だから結局、自問自答の形式も、お在りになることゝ察せられる。今日の我々の、窺ふことの出来ない、不思議なことであるが、此が当然の事と考へられてゐた。只今から考へると、矛盾が沢山あるが、古代生活の感情の上の論理では、差し支へがなかつたのである。比論法の誤りに陥つてゐるが、此が日本の、根本の論理である。
天竺の因明《インミヤウ》が、日本に渡り、又支那から、新しい衣を著た因明が、輸入せられて、支那風と、仏教其まゝの論理学とが、日本古来の論理を訂正して来たが、其処に、矛盾を生じて来た。暦法の上でも、新・旧・一月おくれの三通りの暦を、平気で用ゐて、矛盾したことをしてゐる。最後に這入つて来たのが、西洋の論理学――此とても、天竺の因明が、希臘に這入つて、変化したものに違ひないが――であつた。
この因明的の考へ方で言ふと、日本古代の論理は、感情の論理である。外国の論理学が這入つて来なかつたら、別の論理
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