学が、成立してゐたかも知れない。前述のことも、現代の環境・論理で考へるから、不思議なのである。此は、大切な問題だとおもふ。
日本の信仰には、女神の信仰があるが、私の考へでは、女神は皆、もとは巫女であつた。此処に、永久に論断を下すことの出来ない仮説を申してみると、天照大神も最高至尊の地位にあらせられた、女神である。この仮説への道筋を述べて見よう。
記・紀を見ると、天照大神の蔭にかくれてゐる神がある。たかみむすび[#「たかみむすび」に傍線]の神(たかぎ[#「たかぎ」に傍線]の神とも)と言ふ神である。何の為に、此神が必要なのであらうか。日本の古い神道で、此事を考へなければならない理由がある。此神が何時も、天照大神の相談相手になつてゐられる。天照大神は、日の神ではなく、おほひるめむち[#「おほひるめむち」に傍線]の神であつた。
此神には、おほひるめ[#「おほひるめ」に傍線]の神・わかひるめ[#「わかひるめ」に傍線]の神と二種あつて、前者は御一方、後者は沢山あつた。すさのを[#「すさのを」に傍線]の命が、斑馬の皮を斎服殿《イミハタドノ》に投げ込まれた時に、気絶したのは、わかひるめ[#「わかひるめ
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