、と言うたゞけでは通らない。日本紀に、淡路島を胞《エ》として、大八島を産まれた、と明らかに書いてある。長兄・長女を兄《エ》と言うた。其で此処も、淡路島を最初に産んだ、と解釈してゐる。其様な無理な解釈でよいならば、文字はいらない。土地を産む時には、淡路島を胎盤《エ》としてお産みになると考へてゐた。つまり、腹が別なのである。昔の人としては、よく考へてゐたのだ。

     七 数種の例 二

それから、日本の国では、年の考へが、まち/\であつた。其は、暦が幾度も変つた為である。天皇は、日置暦《ヒオキゴヨミ》といふものを持つてゐられたが、後に、それが度々、変化してゐる。
その昔の暦を考へて見ると、天皇が高処に登られて、祝詞を唱へられると、春になる。初春に、祝詞が下される、と言ふのと反対であつて、天皇が祝詞をお下しになると、春になる、と考へてゐた。
[#ここから2字下げ]
商返《アキカヘシ》しろすと、みのりあらばこそ。わが下衣 かへしたばらめ(万葉集巻十六)
[#ここで字下げ終わり]
商返を、天皇がお認めになる、と言ふ祝詞が下つたら、私の下衣を返して貰ひませうが、お生憎さま。商返の祝詞がござい
前へ 次へ
全64ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング