ませんから、返して頂く訣にはゆきません、と言ふのである。
商返は、日本の歴史の上では、長い間隠れてゐた。歴史の上に見えないと言ふ理由で、事実が無かつたと思ふのは、早計に過ぎる。室町時代以後になつて、徳政と言ふ不思議なことが、突然記録に現れて来たが、此は今まで、記録にも歴史にも現れずに、長い間、民間に行はれてゐたのが、時代の変化に伴うて、民衆の力が強くなつて来たので、歴史の表面に出たのである。
商返と言ふのは、社会経済状態を整へる為、或は一種の商業政策の上から、消極的な商行為であつて、売買した品物を、ある期間内ならば、各元の持ち主の方へとり戻し、又契約をとり消すことを得しめた、一種の徳政と見るべきもので、此がちようど、夫婦約束の変更、とりかはした記念品のとり戻しなどに似てゐるので、一種の皮肉な心持ちを寓して、用ゐたのである。
かうした習慣の元をなしたのは、天皇は一年限りの暦を持つて居られ、一年毎に総てのものが、元に戻り、復活すると言ふ信仰である。此信仰は続いてゐたが、事実を見ると、人間は生きてゐて変らない。其処に、信仰と現実との矛盾を感じて来た。其でも地方では、売買貸借で苦しめられて、や
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