。
これの一番、適切に残つてゐるのは、諏訪である。諏訪明神で、七年目毎に行はれる御柱祭りは、元の意味は訣らなくなつてゐる。其は、大陸地方の習慣である、と言ふ人もあるが、誤りである。宮を造営するに先だつて、やしろ[#「やしろ」に傍線]を標《シ》め、神のゐる所を作るために、柱を立てるのである。もつと簡単なのは、標《シ》め縄を張るだけである。こゝに立てる柱は、一本でもよいのに、諏訪では、四本立てゝゐる。此は、古い形を遺して、適確なやしろ[#「やしろ」に傍線]の信仰を伝へてゐるのである。もつと溯ると、一本で、斎柱と同じであつたらう。諏訪の御柱も、宮には関係がない。此処にもほんとうは、宮を建てる前に、やしろ[#「やしろ」に傍線]だけの時代があつたのかも知れない。
不思議なもので、柱さへ立てば、家が建つたと同じに見立てたので、いざなぎ[#「いざなぎ」に傍線]・いざなみ[#「いざなみ」に傍線]二神の章の、天御柱をみたてた[#「みたてた」に傍線]と言ふのも、此意味である。神典の書き留められた時分になつては、神聖な語として伝へられたが、其本意は、既に忘れられて、立派な御殿を見立てたと考へてゐる。
八尋殿
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