危険が伴ふが、今一度、新しく通らねばならない、大切な手段である――をして見なくては、日本の語原論は、奈良朝まで行けば、先は闇である。
現在正しいと信ぜられてゐる語原説も、学問の進歩によつて、変つて、行かなければならない。譬へば「津」と言ふ語は、一般に渡り場と考へられてゐるが、古くは、津と言はずに、御津《ミツ》と書いてゐる。此はどうも、神に関係のある語らしい。用語例を集めて見ると、御津は大抵、貴い方の、禊ぎをなさる場所を斥してゐる。「津」に「御」と言ふ敬語がついた、と考へられ易いが、みつ[#「みつ」に傍線]は、神聖な水と言ふこと、つまりみつ[#「みつ」に傍線]とみづ[#「みづ」に傍線]とは、同じことである。
大昔は、水は神聖な、常世国から来て、此を使ふ人を、若返らせたものであつた。其水の来る場所は、定つてゐた。天皇の禊ぎをなさる場所、又なさつてはならない場所といふものが、定つてゐた。神聖な液体がみづ[#「みづ」に傍線]であり、その或時期に来る場所をみつ[#「みつ」に傍線]と言ふ。みつ[#「みつ」に傍線]は大抵海岸で、御津と書かれてゐる。後に、其意味が訣らなくなると、言葉の感じが変つて来て、「御」を敬語と考へ「津《ツ》」を独立させて了うて、支那の津《シン》の意味に、文字の上から聯想して来たのである。昔の人も、合理的に、よい加減に考へてゐた。
合理とは、らしよなりずむ[#「らしよなりずむ」に傍線]の訳であるが、合理と言ふことはいけないことで、無理に理くつに合せ、都合のよい理くつをつけ、無理に理くつに叶はせると言ふことで、此は、合理の意味の用ゐ方が違うてゐる。尤近頃では、好ましい用語例を持つて来た様である。ともかく、みつ[#「みつ」に傍線]も、其合理的な考へ方によつて、み[#「み」に傍点]は敬語、つ[#「つ」に傍点]は船どまり場だ、と言うてゐるが、其は、支那の文字の「津《シン》」の説明にはなつても、日本のつ[#「つ」に傍点]の説明にはならない。
摂津国をつ[#「つ」に傍線]の国と言うたのは、禊ぎの国として、最大切な国であつた為である。
仁徳天皇の皇后いはのひめ[#「いはのひめ」に傍線]の命《ミコト》は、嫉妬深い方であるが、或時|御綱柏《ミツナガシハ》を採りに、紀の国に行かれた間に、天皇がやたのわきいらつめ[#「やたのわきいらつめ」に傍線]を宮殿に入れられた、とお聴きになり、
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