非常に恨み怒られて、船に積んでゐた御綱柏を、悉く海に投げ込まれたので、其処を御津の崎と言ふ、といふ話があるが、この御綱柏と言ふのは、禊ぎに使ふ柏、と言ふことである。いはのひめ[#「いはのひめ」に傍線]は、他氏出の后である。この他氏出の后といふのは、天皇に禊ぎをすゝめる方である。
九 伝襲的学説
この様に、段々探ると、今までの語原論・伝襲的学説は、次第に破られてゆく。国学の四大人は、其時代のあらゆる知識を利用して、研究されたのである。我々の時代には、又、我々の時代としての知識によつて、研究して行かなければならない。先輩の研究は、有難いものではあるが、我々は其を越えて、伝襲的学説を、改めて行かなければならない。定論と言ふものは、さうあるものではない。正確か、不正確かの問題である。
一〇 神典解釈上の古今
神典の解釈も、古来種々と行はれてゐるが、信仰といふものは、現実に推移して行く。故に神典の解釈に当つては、古典として固定したものを、理会して行くのであるから、理会の為方があるのである。其方法及び助力が、時代によつて異つてゐる。古くから、江戸時代に至る迄は、日本紀の研究ばかりで、古事記は顧みられなかつた。日本紀は、平安朝の初めから、漢学者によつて研究せられた。日本紀講筵と呼ばれてゐる。其中に、理会の為方に違つた要素が、這入つて来てゐる。即、安倍晴明によつて知られた陰陽《オンミヤウ》道を、補助学科としてゐる。陰陽道には、漢学風のものと、仏教風のものとがある。其為に、日本紀の解釈も、僧の畑に這入つて行はれ、仏教式の色彩が濃くなる。神仏習合と言ふ事は、仏教派が、日本紀を中心としてやつた事である。
其が次第に進んで来る間にも、やはり、古代の精神は亡びないで、時々、その閃めきを見せてゐる。此が、江戸時代の新しい学者を刺戟して、新しい神道を築かせた所以でもある。其組織の基礎には、陰陽道・儒学・仏教等の知識が這入つてゐる。純粋の日本の神道だと考へてゐる中にも、存外、かうした輸入の知識が、這入つてゐるのである。又、古代のよい点のみを採つて、神道だとしてゐるが、かゝる常識を排して、善悪に拘らず、日本の事である以上、考へて見なければならない。即、長所短所を認め、総決算をした上で、優れた日本精神が出て来れば、よいのである。
神道の研究は、昔に立ち戻つて、始めねばならな
前へ
次へ
全32ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング