」に傍線]の神であつた(日本紀一書)。
ひるめ[#「ひるめ」に傍線]と言ふのは、日の妻《メ》即、日の神の妻《メ》・后と言ふことである。ひるめ[#「ひるめ」に傍線]のる[#「る」に傍線]は、の[#「の」に傍線]である。水の神の后を、みぬめ[#「みぬめ」に傍線]又は、みるめ[#「みるめ」に傍線]と言ふのと同じである。
出雲国造|神賀詞《カムヨゴト》に、
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|此方[#(能)]《コチカタノ》|古川岸[#(爾)]《フルカハギシニ》生立《オヒタテル》|若水沼間[#(能)]《ワカミヌマノ》……
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と見えてゐる。神賀詞自身「若水沼間」を植物と解してゐる。日本紀の神功皇后の巻には、みづは[#「みづは」に傍線]とあつて、みづ/″\しい草葉のことになつてゐるが、よく討ねて見ると、水の神に仕へる、女の神の名前であつて、同時に、禊ぎの時に、何時も出て来る神であつた。みぬめ[#「みぬめ」に傍線]又はみるめ[#「みるめ」に傍線]で、水の妻即、水の神の后である。即ひるめ[#「ひるめ」に傍線]は、疑ひもなく、日の神の后の意であらう。
其が次第に、信仰が変つて来ると、日の神に仕へてゐる最尊貴な、神聖な神の后を、神と考へる様になつた。私の考へでは、天照大神も、かうした意味の神である。此点で、社々にある姫神と、同じに考へることが出来ようと思ふ。神典を見ても、大神は始終、たかみむすび[#「たかみむすび」に傍線]の神に御相談なさつていらせられる。此たかぎ[#「たかぎ」に傍線]の神が、日の神かどうかは、此処では触れないでおく。
八 語原論の改革
今の一例でも訣るやうに、記・紀・万葉その他の語の研究は、まう一度、根本から、やり直さなければならないと思ふ。訣つてゐる、と思うてゐる語も、冷やかに考へ直して見ると、訣らないで、通つてゐることが多い。此は、語原的の説明が、あやふやだからである。学者がかうだ、と説明する以前に、学者が疑ふことが出来ない程、昔から確かに、信ぜられて来た伝へがある。こゝで最初から、語原論をやり直す必要がある。
今日までの語原論は、奈良朝を出発点として、其以後の言葉で調べてゐるが、日本の言葉には、もつと古い歴史が見られる。何と言うても、古代研究には、材料が乏しい。諸外国の民俗と比較し、日本の書物に残つてゐる、古語・死語の解剖――尤、此には
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