暦法は、最遅く移動して来たと思はれる出石人《イヅシビト》(南方漢人)などの用ゐたものが、一等進んでゐたであらう。道・釈の教が、記録の指定する年代よりも遥か以前に、非公式に将来せられてゐたのと同様、暦法も亦、史の書き留めを超越してゐるものと見てよい。天日矛《アメノヒボコ》や、つぬがのあらしと[#「つぬがのあらしと」に傍線]などを帰化民団と見ずに、侵入者と認めた時代の、古渡《コワタ》りの流寓民の村々にくつゝいて渡つて来たものと思はれる。だから、表向き新暦法の将来せられた時は、ずつと遅れる訣である。唯一般になつたと言ふまでゞあらう。かうした村々で、色々な暦法を用ゐ、又次第に相融通するやうになりかけた時代に跨つて話を進める。従つて記録の上では、新暦の時代に入つてゐても、古代研究の立場からは逆にまた、新旧暦雑多の時代と見ねばならぬことも多い。
概算する事も出来ないが、祖先が、日本人としての文明を持ち出した事は、今の懐疑式の高等批評家の空想してゐる所よりも、ずつと古代にあると考へねばならない多くの事実を見てゐる。此古代研究の話も、落ちつく所は、その荒見当を立てる位の事になるであらう。考証と推理とに
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