に傍線]が、時にはさうした倫理内容まで持つて来た訣についてゞある。言ふまでもない。神に奉仕するものゝ頼りと、あやまち[#「あやまち」に傍点]を罪と観ずる心持ちである。此が信仰から出てゐるものと見ないで、何と言はう。
神道家の神道論にもいろ/\ある。私の思ふ所をぶつきらぼう[#「ぶつきらぼう」に傍点]に申せば、文献の上に神道と称せられてゐる用語例は、大体二つにはひつて来る。
素朴な意義は、神の意思の存在を古代生活の個々の様式に認めて言ふのであつた。併し、畢竟は、其等古代生活を規定する統一原理と言ふ事に落ちつく様である。其を対象とする学問が、私どもの伝統を襲いで来てゐる「国学」である。だから、神道の帰する所は、日本本来の宗教及び古代生活の軌範であり、国学は神道の為の神学、言ひ換へれば、古代生活研究の一分科を受け持つものなのである。
神道の意義は、明治に入つて大に変化してゐる。憲法に拠る自由信教を超越する為に、倫理内容を故意に増して来た傾きがある。出発点が宗教であり、過程が宗教であり、現にも宗教的色彩の失はれきつて居ぬ所を見れば、神道を宗教の基礎に立つ古代生活の統一原理と見、其信仰様式がしき
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