様式の方に綟《ヨ》りを戻しがちなのは、其中から「美」を感じようとする近世風よりは、更に古く、ある「善」――尠くとも旧文化の勢力の残つた郷党生活では――を認めてゐるからである。此「善」の自信が出て来たのは、辿れば辿る程、神の信仰に根ざしのある事が顕れて来る。
数年前「東《ヒガシ》」の門徒が、此までかた[#「かた」に傍点]門徒連のやつた宗風のすたれるのを歎いて「雑行雑修《ザフギヤウザフシユ》をふりすてゝ」と言ふ遺誡をふりかざして、門松|標《シ》め縄を廃止にしようとした時は、一騒動があつた。攻撃した人達も「年飾《トシカザ》り」をやめる事が、国人としての気分の稀薄になつた証拠だといふ論拠を深く示さうとしなかつた。唯漠然と道徳的でない感じがしたと言ふ程の処にあつた様である。処があれなどは、神道家がもつと考へて見なければならない古義神道、或は「神道以前」の考察を疎かにしてゐた証拠になるのである。陰陽神道・両部神道・儒教的神道・衛生神道・常識神道などに安住して、自由に古代研究をせなかつた為である。
古代研究家の思ひを凝さねばならぬのは、私どもの祖先からくり返して来た由来不明のしきたり[#「しきたり」
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