度が違ふ。所謂「異教」の国人の私どもには、何の掛り合ひもないくりすます[#「くりすます」に傍線]の宵の燈に、胸の躍るを感じるのは、古風な生活の誘惑に過ぎまい。
くりすます[#「くりすます」に傍線]の木も、さんた・くろうす[#「さんた・くろうす」に傍線]も、実はやはり、昔の耶蘇教徒が異教の人々の「生活の古典」のみやびやかさ[#「みやびやかさ」に傍線]を見棄てる気になれないで、とり込んだものであつたのである。家庭生活・郷党生活に「しきたり」を重んずる心は、近代では著しく美的に傾いてゐる。大隅の海村から出た会社員の亭主と、磐城の山奥から来た女学生あがりの女房との新家庭には、どんな春が迎へられてゐるだらう。東京|様《ヤウ》を土台にして、女夫《メヲト》双方のほのかな記憶を入りまじへた正月の祝儀が行はれてゐるに違ひない。さうした寂しい初春にも、やすらひ[#「やすらひ」に傍線]と下ゑましさ[#「下ゑましさ」に傍線]とが、家の気分をずつと古風にしてゐることゝ思ふ。
生活の古典なるしきたり[#「しきたり」に傍線]が、新しい郷党生活にそぐはない場合が多い。度々の申し合せで、其改良を企てゝも、やはり不便な旧
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