」に傍線]の属性が次第に向上しては、天上の至上神を生み出す事になり、従つてまれびと[#「まれびと」に傍線]の国を、高天原に考へる様になつたのだと思ふ。而も一方まれびと[#「まれびと」に傍線]の内容が分岐して、海からし、高天原からする者でなくても、地上に属する神たちをも含める様になつて、来り臨むまれびと[#「まれびと」に傍線]の数は殖え、度数は頻繁になつた様である。私の話はまれびと[#「まれびと」に傍線]と「常世《トコヨ》の国」との関係を説かねばならなくなつた。

     九 常世の国

常世の国は、記録の上の普通の用語例は、光明的な富みと齢との国であつた。奈良朝以前から既に信仰内容を失うて、段々実在の国の事として、我国の内に、此を推定して誇る風が出来て来た様である。常陸風土記に、自ら其国を常世の国だとしたのは、其一例である。人麻呂の作と推測される「藤原[#(ノ)]宮の役《エ》[#(ノ)]民《タミ》の歌」を見ても「我が国は常世にならむ」と言うてゐるのは、藤原の都の頃既に、常世を現実の国と考へてゐたからである。此等から見ると、海外に常世の国を求める考へ方は古代の思想から当然来る自然なもの
前へ 次へ
全36ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング