は元、村の人々の死後に霊の生きてゐる海のあなたの島である。そこへは、海岸の地の底から通ふ事が出来ると考へる事もある。「死の島」には、恐しいけれど、自分たちの村の生活に好意を期待することの出来る人々が居る。かうした考へが醇化して来るに連れて、さうした島から年の中に時を定めて、村や家の祝福と教訓との為に渡つて来るものと考へる事になる。而も、此記憶がさうなつて久しい後まで断篇風に残つて居て、楽土の元の姿を見せて居るのである。
琉球諸島の現在の生活――殊に内部――には、万葉人の生活を、その儘見る事も出来る。又、万葉人以前の俤さへ窺はれるものも、決して尠くない。私どもの古代生活の研究に、暗示と言ふより、其儘をむき出しにしてくれる事すら度々あつた。私は今、日琉同系論を論じてゐるのではない。唯、東亜細亜の民族と同系を論ずる態度と、一つに見られたくない。此論が回数を重ねるほど、私の語は、愈《いよいよ》裏打ちせられてゆくであらう。

     六 根の国・底の国

祓禊《ハラヘミソギ》の基礎となる観念は、やはり唯海原に放つだけではなく、此土の穢れを受けとる海のあなたの国を考へて居たものと思はれる。船に乗
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