と言つてゐる。さう言へば、本島でも風凪ぎを祈つて「にらいかない[#「にらいかない」に傍線]へ去れ」と言ふことを伊波普猷氏が話された。にらいかない[#「にらいかない」に傍線]は本島では浄土化されてゐるが、先島では神の国ながら、畏怖の念を多く交へてゐる。全体を通じて、幸福を持ち来す神の国でもあるが、禍ひの本地とも考へて居るのである。唯先島で更に理想化して居るのは、にいる[#「にいる」に傍線]を信じる村と、以前は違つた島々に違うた事情で住んでゐた村々の間で言ふ、まやの国[#「まやの国」に傍線]である。春の初めにまやの神[#「まやの神」に傍線]・ともまやの神[#「ともまやの神」に傍線]の二神、楽土から船で渡つて来て、蒲葵《クバ》笠に顔を隠し、簑を着、杖をついて、家々を訪れて、今年の農作関係の事、其他家人の心をひき立てる様な詞を陳べて廻る。つまり、祝言を唱へるのである。にいるびと[#「にいるびと」に傍線]もやはり成年式のない年にも来て、まやの神[#「まやの神」に傍線]と同様に、家々に祝言を与へて歩くことをする。

     五 祖先の来る夜

かうした神々の来ぬ村では、家の神なる祖先の霊が、盂蘭
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