おき、悩んでゐる。日々、不見識な豹変を重ねてゐるのだから。
国文学篇の最初の「国文学の発生」は、あの上に今一つ、第五稿を書きさしてゐる。四つの論文をお読みになつた方は、定めて、呆れて下さつた事であらう。民俗学篇でも、「村々の祭り」と「大嘗祭の本義」との間には、実際、御覧に入れたくないほど、考への変化がある。この論文は、半年も立たぬ間に、出来たものなのである。其でゐて、かうである。かうした真の意味の仮説を、学界に提供する事は、わるいとも言へよう。又、よいとも言へる。其は、結論を度外視した顔のとりすました学者の為に、一人で罪を負ふ懺法としての、役に立ちさうだからである。慎重な態度を重んずる、庠序学派の人々は、此を、自身の学問と一つに並べるをさへ、屑しとせないであらう。殊に、民俗学の世界的権威にして、我々が「あがほとけ」とも斎くべきふれぃざぁ[#「ふれぃざぁ」に傍線]教授も、その態度からは、かう言ふ発表方法を認めない事が、明らかである。出来るだけ、揺ぎない道を立てようとする。其方法としては、及ぶ限り資料を列ねて、作者の説明がなくとも、結論は、自然に訣る様になつてゐる。我が柳田先生も亦、此態度
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