放射光は、恰も、私の進む道を照してゐたのである。秋成や守部の様な批評家でない自分は、憂鬱な伝統知識の圧《オ》しの下に、何だか、不満な気分を抱いてゐたばかりであつた。其が、微かながら、跳ね返す力を得て来た訣である。個々の知識の訂正よりは、体系の改造である。彼二人の皮肉屋の、閃く如き鋭さよりは、重胤の、鈍い重さの広く亘る力を思ふべき気稟であつた。新しい国学は、古代信仰から派生した、社会人事の研究から、出直さねばならなかつた事を悟つた。此民間伝承を研究する学問が、我が国にもないではなかつたが、江戸末の享楽者流・銷閑学者の、不徹底な好事、随筆式な蒐集に止つてゐた。だから、民俗は研究せられても、古代生活を対象とする国学の補助とはならなかつた。むしろ、上ッ代ぶり・後《オト》ッ代《ヨ》ぶりの二つの区劃を、益明らかに感じさせる一方であつた。私は、柳田先生の追随者として、ひたぶるに、国学の新しい建て直しに努めた。爾来十五年、稍、組織らしいものも立つて来た。今度の「古代研究」一部三冊は、新しい国学の筋立てを摸索した痕である。

此書物の中から、私の現在の考へ方を捜り出さうとするのは、無理である。実は、今に
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