照を見せたかつた点もある。民俗篇一の「たぶと椿との杜」の写真は、さうした意味から出したのである。
八百比丘尼を採つた第一の理由は、別にある。漂浪する巫女の神語りとしての文学は、古代の海部――或は、山部――其後の「くゞつ」・「ほかひ」から、近代まで筋を曳いてゐる。盲御前《ゴゼ》・歌占の類から、念仏比丘尼・歌順礼の輩の生活が其である。
八百比丘尼を中心として、かうした因縁語りが、長い連環をなしてゐる。日本文学の発生を説く事に力を入れたあの本には、適当らしく考へられたのであつた。当時、私は凝視点を、口頭詞章の上に据ゑる方法を、国文学史の上に試みを積んで、稍自信の出かけた際であつた。此態度を表白するには、此上もない物と考へずに居られなかつた。
今度の本の巻頭は、又「たぶ」の木である。海から来る神と、海ぎはの崖に聳える神木との関係を想ひ見るに、一番叶うたもの、と見立てゝ置いた土地の写真が、遅れて手に入つたので、棄てられない事になつた。三河北設楽の山村の写真は、早川孝太郎さんの作で、花祭りなる神事舞踊を行ふ山人の生活と、環境とを想うて貰ひたかつたのである。念仏踊りの陰惨な古い面形は、あれを、壬生の
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