る。此神像は、土地の人すら、唯「さいの神」とより、今では考へて居ない様だ。が、左に担げた、一見蓮華らしい手草《タグサ》が、葉の形から、椿と判断する外ない。八百比丘尼の信仰の造形記念物としては、今日の処、此石像より知らない私は、非常に喜んだ。其後、伊豆大仁在の穂積忠さんに頼んで、とつて頂いてあつたのを出さずには居られなくなつた。この三枚の写真の作者は、名を入れ落したが、穂積忠氏作と書き入れて貰ひたい。この人の学生時代、郷土研究会で報告した「伊豆のさいの神」の信仰を、新しく憶ひ起したことであつた。近代のは皆房主頭で、地蔵様との区別がなくなつてゐる様である。その配偶なる女性が、八百比丘尼と結びついた径路を思はせたかつたのである。椿も亦、上代から見える神木で、市の祭りに臨む神の手草・杖であつた。山から神聖な男・女の里の鎮魂に携へ来る木である。其枝を杖にする山の神女が、山姥となる一方、不死の八百比丘尼の信仰が出来ても、手草はやはり、椿であつた。旧《フル》年に花さく山茶花は、椿の字を宛てる花木の元の物である。それに代へて、今の椿を用ゐる様になつたのだ。海には「たぶ」、山には「つばき」、この信仰の対
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