々に民謡から、対話語となつて使はれたものもあるとしたら、やはり、研究資料には用ゐにくい。却て、外貌の類似の著しくないものから、同系語としての組織の等しさを見出して、役立てねばならぬ事もある。親友伊波普猷さんと、此点について益協同の研究を積んで行かうと思うてゐる。
私の古代言語の研究方法は、この通りである。恥かしい物言ひだが、態度においては、最確かな、学術的なものであり、効果から見れば、古代論理に順応する行き方が、古く合理化せられた物から、原形をひき放して、語原の上に、更に、語原を見出す方法を開いて来た様に思ふ。かうした個々の研究の堆積が、同系語の正しい比較研究を導くだらうと考へる。私の国語研究を疑ふ人は、私だけの方法を持たない人だ、と考へてもよい様に思ふのである。私はまづ其人々に、「古代生活に現れた民族論理」の一篇を読んで貰ひたい。
私の研究の立ち場は、常に発生に傾いてゐる。其が延長せられて、展開を見る様になつた。かうする事が、国文学史や、芸能史の考究には、最適しい方法だと考へる。文学芸術の形式や内容の進展から、群衆と個人、凡人と天才との相互作用も明らかにすることが出来る。
私の態度に
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