して、民族的民俗学の第一資料を、思ふに任せて獲る様になるだらう。私一己の学問にとつては、今の中は、其国々からは、有力な比較資料を捜るといふに止めねばならぬ。其地を踏まぬ私は、自然かう言ふ態度を採る外はないのである。今の中、沖縄の民俗で解釈の出来るだけはして置いて、他日、朝鮮や南支那の民間伝承も、充分に利用する時期を待つてゐる。私の文献を活用する範囲は狭い。併し、理会の届かない比較資料を、なまはんか[#「なまはんか」に傍点]に用ゐない覚悟である。
私の本の為に、波多郁太郎さんの作つてくれた索引の効能は、せい/″\此本の索引以上に出ないであらう。なぜなら、新しい研究者の引用に値ひせぬ、あり触れた資料を、私の実感で活してゐるに過ぎないからである。比べて言ふのも憚られるが、私の学問の大先達本居宣長の「古事記伝」がさうである。あの本の索引は、「古事記伝」自身の為以外に、応用の利かないまで、鈴屋の翁は、あり合せの材料で料理し尽してゐる。だからあの本の引用文は、宣長以上に役に立ちさうでなくなつてゐるのだ。伴信友は、典型的な学究態度を持して居たが、彼の珍しく博い材料は、まだ料《レウ》り残したところがあ
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