る。宣長の方から出た結論に、疑ひを挿まぬ人々も、その態度を学ぶものには、危険を説くに違ひない。信友の方針は、万人拠るべきものとせられてゐる。併し、宣長の仮説が、後学の手で段々具体化せられて来た今日では、誰もその蓋然を呪はない。甚しいのは、翁に数多い、誤つた論理の結果なる仮説さへ、今は定論として信じられてゐる。其と共に、信友の客観性に富んだ結論も、まう改めなければならぬものが多くなつた。
人各、適《フサ》ふ所がある。研究法を以て、研究の最後と見、方法論を以て窮竟地と考へない以上、啓蒙的な意義に於ける正確さをも含んでの論証法の形式を、第一義に置いてばかりも居られない。哲学と科学との間に、別に、実感と事象との融合に立脚する新実証学風があるはずである。一方は固定した知識であり、片方は生きた生活である。時としては、両方ともに、生命ある場合もある。此二つを結合するものが、実感である。かうした実証的な方法を用ゐる事の出来ない、死滅した事象の研究法や、捕捉し難い時間現象を計数の上に立証しようとするのとは、自然違つた方法を用ゐてよい訣である。私の研究は、空想に客観の衣装を被せたものは、わりに尠い。民俗を
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