ら」に傍線]と、其伝誦者なるゆからくる[#「ゆからくる」に傍線]との存在を聞き出したのである。語部の生活を類推する、唯一の材料を得た訣である。其後、古代欧洲諸国にも、此に似たものゝあつた事を知つた。さうして段々、日本の語部の輪廓の想定図だけは、作つてゐた。其後二十年近い年月に、まあ内容らしいものが膨らんで来たのである。文献の上の証拠は、幼稚な比較法によつた語部の職掌や、社会的地位に関した仮説を、殆、覆し尽した。けれども、私の古代研究は、此仮説を具体化しようとする努力に基いてゐる所が多い。
だから、朝鮮民族や、大陸の各種族の民俗について、全く実感の持てぬ私ではないと信じる。唯、新しい国学の為、古代研究の基礎を叩きあげるには、疑ひなく古代日本の一部を形づくつた、朝鮮や南方支那の漢人種の民間に伝承する習俗すら、私には危くてならぬのである。殊に、頻繁に加つた後入要素の分離が、完全に出来ない間は、出雲人や、但馬人に関した文献上の古俗を、韓人・南方漢種の近代のものに推し宛てる勇気が出ない。又事実、其だけの変化が加つてゐる。
併し、其等の土地に居て、その実感を深める事が出来たら、分離すべきものは分離
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