はやり語[#「はやり語」に傍点]なんかで、新らしく内界を具現する必要はない筈である。而も、われ/\の精神内容は、一日百個のはやり語[#「はやり語」に傍点]を歓迎するだけの余裕と、渾沌とを残してゐる。又、他の方面から見ると、誰しも口癖を持つてゐないものはなからうが、其人々の精神内容が、何時も一つの言語表象に這入つて来るといふことは、他の理由は別として、我々が、微細な表象の区劃を重んじてゐぬといふことも、明らかに一つの理由でなければならぬ。此から推して見ても、現代の言語が、必しも現代人の心理に随応した総てゞあるといふことは出来ないであらう。其上我々の感情なり、思想なりが、一代毎に忘られて行つて、形さへ止めないものならば格別、実際|日本武《やまとたける》や万葉人の心は、現在われ/\の内にも活きてゐることを、誰が否むことが出来よう。今、古語・死語を用ゐる範囲を最小限度に止めても、尠くとも此心持を表象するに当つては、彼古語・死語を蘇らして、何のさしつかへがあるだらう。
このやうに古典的な心持でなくても、現に我々が日常其内に生きてゐる精神作用も、古語や、死語には緻密に表現せられてゐるに係らず、現代
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