宿禰と云ふ家であつた。だから、其家の宰領する村を、丹比壬生部と称へてゐる。瑞歯別の伝説は、全く、此丹比壬生部の伝承した叙事詩から出たものに他ならぬのである。
さて代々の多くの皇子たちの壬生及び壬生部は、皆別々の家を選んで、其皇子の私有になる村々を、宰領させられた訣であつた。みぶ[#「みぶ」に傍線]の本体なる産婆・乳母のみぶ[#「みぶ」に傍線]の――選抜された家々の直系の女子である――出た其家長は、其際水辺に立つて、寿詞を奏上すると云ふのが、きまつた形式と考へられる。此が、史書を読む読書、鳴弦の式に変つて行つたのだ。新撰姓氏録を見ると、反正天皇のみあれ[#「みあれ」に傍線]に与つた丹比宿禰の伝へを記してあるが、其によると、瑞歯別の誕生の時、丹比部の祖先|色鳴《シコメ》宿禰が天神寿詞《アマツカミノヨゴト》を奏したとある。そして此寿詞を奏上する間に、みぶ[#「みぶ」に傍線]に選ばれた女子が水に潜つて、若皇子をとりあげるのである。
産湯と云つて来たが、古代は水をもつて湯とも称してゐる。誕生の際、正確に湯にとりあげたのは何時の頃よりか知られてゐない。一体、湯は斎川水《ユカハミヅ》と云ふ語の慣用が
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