・負守《オヒモリ》等の職分もあつたのであらう。此だけを総括してみぶ[#「みぶ」に傍線]の職掌としてゐるらしいが、肝腎の為事は、大湯坐・若湯坐にあるやうだ。ゑ[#「ゑ」に傍線]といふ語は、ものを据ゑると云ふ語であるから、要は湯の中に、入れすゑ取扱ふといふことにある。後世のとりあげ[#「とりあげ」に傍線]、即、助産する事になるのである。だから、今でも地方によると、とりあげ[#「とりあげ」に傍線]婆さんの為事が、どうかすれば考へられる様な職でなくて、ある女にとりあげられた子供は、幾歳になつても盆・正月には、欠かさずに其産婆の許に挨拶に出かける風習がある。即、此はとりおや[#「とりおや」に傍線]ととりこ[#「とりこ」に傍線]との関係であつたことが知れる。
二
かうして育てあげられた貴人の為に、とりおや[#「とりおや」に傍線]を中心とした一つ或は数箇の村が出来て、其貴人の私有財産となつた。即、御名代部《ミナシロベ》の起原であり、壬生部と称せられた。此が後世に伝はつて、更に御封《ミブ》・荘園とも変じてゆくのである。そして、反正天皇の際に於ける壬生部の統領は、丹比《タヂヒ》[#(ノ)]
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