ホヒト》の像で示されたのである。譬へば、日向岩川八幡の大人《オホビト》弥五郎の様なものが出来た。さうして、此が八幡神の行列には必、伴神として加はつた。日本の巨人《キヨジン》伝説には、此行列の印象から生れた、と考へられるものがある。証拠は段々とある。らしよなりずむ[#「らしよなりずむ」に傍線]に囚はれた人類学・考古学の連衆は、無反省に、先住民族を持ち出すが、尠くとも、日本の巨人伝説を考へるには、此行列の印象のある事を忘れてはならない。九州で大人弥五郎と言ひ、中国で大太郎法師と言ひ、平家物語にはだいたら[#「だいたら」に傍線]法師とある様に、此印象が、殆全国に亘つて、伝説化せられて居る。勿論其には、沼を作り、山を担いだなどゝある、一代前の巨人伝説が、結びついても居る。此二者が結合して、新しい巨人伝説が出来た、と見るのがよろしいであらう。大太郎法師を高良《カウラ》明神とし、高良明神を武内宿禰に仮托したのは、八幡神を、応神天皇に附会した為の誤解からである。それでも、脇座《ワキザ》の神としての印象だけは、採り入れて居る。
八幡神の伴神でも、まだ御子《ミコ》神としての考への出ない前のものが、即、才
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