、今でも諸地方にある。殊に、八幡系統の神社に著しい。八幡神は、疑ひもなく、奈良朝に流行した新来《イマキ》の神である。私は、日本の仏教家の陰陽道《オンミヤウダウ》が、将来した神ではないかと考へて居る。譬へば、すさのをの[#「すさのをの」に傍線]命を、牛頭《ゴヅ》天王と言うたり、武塔《ブタフ》天神と言うたりする様に、八幡神も、多分に陰陽道式のものを持つて居る。仏教式に合理化せられ、習合せられた新来神と言へさうだ。
其はとにかく、此神が、兇暴な神である様に見られたのは、八幡神自身が、兇暴と言ふよりも、西から上つて来る途中、其土地々々の、兇悪な土地神を征服して、此を部下にして行つた、其為だと思はれる。此征服の結果は、最初は、部下にしたのだが、後には、若宮として、父子の関係で示される様になつた。
かうして八幡神の信仰が、宣伝せられて行く中に、地方々々の神々を含んで行つた。それ等の神々は、巨人の形をとつて、其土地の八幡神の信仰を受け持つことになつた。八幡神側から言へば、臣従を誓はせる事によつて――父子の形はとつても――土地の害悪を押へたのである。
此部下は、人形《ニンギヤウ》の形をとつた。巨人《オ
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