るところでは、彼等の行うた人形芝居は、宗教劇には関係がない様である。主として京太郎《チヨンダラ》と言ふ日本《ヤマト》の若衆をば、主人公にしたものである。沖縄では、此京太郎と言ふ人形と、其を舞はす人とを一つにして、考へてゐる形跡が、明らかである。京太郎とは、継母・継子で内地から流れて来た者だ、と言うて居るが、其には、一種の政治上の目的を持つて居た――薩摩が攻めて来る前に、沖縄の土地へ探索に来た――と考へて居る。行者村を、特殊部落扱ひにして居るのは、此国を売つた恨み・憎しみだとしてゐる。
一二 念仏聖と人形舞はしと
京太郎《チヨンダラ》と言ふ戯曲は、元、内地のお伽仮名草紙にあつたものに相違ない。しらゝ[#「しらゝ」に傍線]・おちくぼ[#「おちくぼ」に傍線]・京太郎と並び称せられて居た位だから、いづれ、継母・継子の話だつたのだらう。継母・継子の話は、平安朝頃からあるが、男の子を苛める話は、鎌倉時代からゝしい。此話を、かなり早い時代――薩摩の琉球攻め以前――に、念仏聖《ネンブツヒジリ》の徒が、人形を舞はしながら、持つて行つた。それが人気を集めたので、後々までも、人形舞はしの事を京
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