太郎、と言ふ様になつたのであらう。彼等が持つて居る歌を見ると、念仏系統の歌――寧、口説《クドキ》風の歌――が多い。外には、万歳の様なことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の歌、それから、万歳のくづれの様なものもある。どうしても、念仏聖の持つて行つたものと言ふことが考へられるのである。
念仏聖の事は言ひ尽し難いが、此から喜劇的のものが生れて来た事だけは考へてよい。壬生狂言の如き黙劇も、此から生れて居る。又、親友さへも認めてくれないで居るけれども、此が田楽に融合して居るのは事実が証明して居る。その外、木遣り・伊勢音頭の類を見ても、念仏の影響してゐる事は容易に考へられる。又、万作踊りを見ても、四竹《ヨツダケ》踊りを見ても、念仏の末流と言ふ事を考へないでは訣らないと思ふ。とにかく、近世の芸能の上に、どの位念仏が影響して居るかは、想像に能はない位である。沖縄の念仏者はたゞ人形芝居を持つて居るだけだから、此二つには関係がないとは言へまいと思ふ。此念仏者の歌を見ると、京太郎の外にも尚|継母《マヽウヤ》系統のものが若干ある。継母に苦しめられた、苦しい悲惨な子供の事を説いて、仏道に帰依させようとした形跡が十分
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