に念仏者《ニンブチヤ》と称する者が居るが、此家には、内地の後世の人形遣ひ・傀儡子の歴史を考へる上に、非常に暗示を含んだ遺物を存して居る。大正十年に、私が此村を訪ねた翌年、宮良当壮君が、又訪ねた。此話は、炉辺叢書に譲つていゝ程、詳しい記録をとつて来てくれた。たゞ私が、初めて此部落を、訪れた時の実感を申すと、沖縄には、石嶺の外にも、地方に分散してゐる念仏者があつた様だが、此村の念仏者は、毎年春になると、沖縄中を廻つたものらしい。彼等は、前面の開いた箱を首にかけて、其中で、小さな人形を踊らせる。注意すべき事は、其箱をば、てら[#「てら」に傍線]と言うてゐる。沖縄では、普通日本の神をかんげん[#「かんげん」に傍線]として祀つた社の外は、ほこら[#「ほこら」に傍線]・祀堂に通じて、すべて、てら[#「てら」に傍線]と称して居るので、行者村の入り口にある阿弥陀堂を、やはりてら[#「てら」に傍線]と称して居る。だから、行者の首にかけてゐる箱は、つまり社であり、堂である訣だ。其中で、人形を踊らせるのだから、此には芸能以上の意味を以つて、考へられたものがあつた、と見なければならない。
併し、我々に訣つてゐ
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