も、死んで稲虫になる事が出来た。此から見ても、稲虫の話には、どうしても、送り人形の草人形《クサヒトガタ》の信仰が、結びついて居るものと見なければならない。
八 雛祭りと淡島伝説
黙阿弥の脚本「松竹梅湯島掛額《シヨウチクバイユシマノカケガク》」駒込吉祥寺の場面で、三月三日に、お七が内裏雛《ダイリビナ》を羨んで、男は住吉《スミヨシ》様、女は淡島《アハシマ》様と言ふ条《クダ》りがある。どうして淡島様が、雛祭りに結びついたか。三月三日に、村々の女達が、淡島堂に参詣する風習が、所によつては、極最近までもあつた。私も、先年三浦半島を旅行した時、葉山から三崎の方へ行く途中、深谷と言ふ所に淡島堂があつて、村の女達の、大勢参詣するのを見た事がある。此|由緒《ユカリ》については、次のやうに言はれて居る。
昔、住吉明神の后《キサキ》にあはしま[#「あはしま」に傍線]と言ふ方があつた。其方が、白血・長血の病気におなりになつたので、明神がお嫌ひになり、住吉の門の片扉にのせて、海に流された。其板船が、紀州|加太《カタ》の淡島に漂ひついた。其を、里人の祀つたのが、加太の淡島明神だと言ふのである。あはし
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