、磯良の出現によつて、此儀式の始まつた元の記憶だけは、止めて居たと見られる。原意は、既に忘却を重ねた後にまでも、尚、此を繰り返して居たのである。阿知女を鈿女《うずめ》だとする説もあるが、阿知女・阿度女は、海人《アマ》の宰領である、安曇《アヅミ》氏の事でなければならない。磯良が、海底を支配する海人《アマ》の神だ、と言ふ伝説の意味も、それで訣る。
私の考へ方としては、海の神の信仰が山の神の信仰に移つたとするのであるから、譬ひ磯良の信仰には、更に、山の大人《オホビト》の考へをば、反映して居るとしても、根本的には、古いものと見られる。

     四 くゞつ[#「くゞつ」に傍線]と人形との関係

民間信仰・民俗芸術の上の諸相は、単純化の容易に行はれるものではない。けれども、仮りに、簡単な形を考へて見るとしたら、才《サイ》の男《ヲ》は、海系統のもの、大人《オホビト》は山系統のものと見てよいであらう。でも、此二つは、元はやはり、一つ考へのものでなければならない。
この才の男の末が、二つに分れて、一つは、傀儡子の手に移つて、てくゞつ[#「てくゞつ」に傍線]から、次第々々に、木偶《デク》人形となつた。てくゞつ[#「てくゞつ」に傍線]人形の略語が、でく[#「でく」に傍線]人形となつたのであらう。今一流は、早く大人《オホビト》と融合して、大社々々の細男・青農となつた。
細男側の才の男は、離宮《リキウ》八幡のものゝ様に、手の動くものもあるが、多くは、単なる偶像となつて、形の上から見ると、恰も、一つもの[#「一つもの」に傍点]ゝ人形と同じ様に、祭りの行列の最初に練《ネ》つて行く。
一つもの[#「一つもの」に傍点]にも、人形と人間との二通りがある。従来の考へ方では、此は尸童《ヨリマシ》系統のものであるから、人間を本態とする事になつて居るが、併し、人形を以つてする形式も多い事だし、旁《かたがた》、どちらを先ともきめられない様である。
志賀《シカ》[#(ノ)]島《シマ》の祭りに、お迎へ人形の出ることは、海部《アマベ》の民と、八幡神の信仰とが結びついて居る、一つの記念と見られる。海部の民も、人形《ニンギヤウ》を重んじた。これが、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]の人形舞はし・ゑびすかき[#「ゑびすかき」に傍線]にまで、続くのである。
くゞつ[#「くゞつ」に傍線]と人形との関係は、平安朝中期以後の材料と、
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