略字が「能」である。田楽能・猿楽能など言ふ、身ぶり狂言の能は、此から来た。併し、宮廷の御神楽に出る、才の男が人間であるのは、元偶人が演じた態を、人間がまねたのだと考へられる。一体、今日伝はる神楽歌は、石清水《イハシミヅ》系統のものである。此派の神楽では、才の男同時に青農で、人形に猿楽を演ぜしめたのであらう。だから才の男は、人形であるのが本態で、宮廷の御神楽に出る才の男が人間であるのは、其変化である、と見る考へはなり立つと思ふ。
神楽に出る才の男が、猿楽風に物まねをするのは、神の暗示を具体化する、副演出と見る事が出来る。此は元来、才の男が精霊役で、別に、此に対する神があり、神がして[#「して」に傍線]、才の男がわき[#「わき」に傍線]と言ふ風に、対立して演じた事から生じた、と解すればよい。併し、神・精霊の考へは、常に変化転換して居る。譬へば、宇佐八幡と関係の深い、筑前|志賀《シカ》[#(ノ)]島《シマ》の祭りに、人形を船に乗せて、沖に漕ぎ出で、船の上から、海底を※[#「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1−91−13]《ノゾ》かせる式がある。海の精霊を、祭りに参与せしめる為の、お迎へ人形であるから、元来は海底の神が精霊である訣だが、この場合には、お迎へ人形の方が、精霊の位置に変る。併し、更に考へて見ると、海底の精霊と言ふのが、実は、嘗ては、他界から来る権威ある神であつたのだ。又、さうした事は、逆にも行はれて居る。宇佐八幡に対すると、志賀[#(ノ)]島の海底神は、精霊の大なるもの、と言ふ事になるのである。
此から、阿度目《アドメ》[#(ノ)]磯良《イソラ》――後に人と考へる様になつて、磯良丸とも言ふ――を考へる様になつた。磯良は、海底を支配する海人の神だ、と言はれて居る。此名に関係のあるものでは、神楽歌に磯良前《イソラガサキ》がある。「いせじまやあまのとねらがたくほのけいそらがさきに云々」と言ふので、此歌だけで見ると、阿度目[#(ノ)]磯良と、別に関係はない様であるが、元はあつたに相違ない。
神楽の最初に「阿知女々々々於々々《アヂメアヂメオヽヽ》」とある阿知女作法と言ふのは、太平記が伝へる名高い伝説でも、想像が出来る様に、「阿知女々々々」は磯良を呼ぶので、「於々々」は磯良の返答である。或は、人長と才の男と言うた様な対立で、演じたものであつたかも知れない。とにかく
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